2011年05月23日
大阪環状線の完成
しかし、戦争が終わり大阪市域の復旧が進み、さらに市域の拡大により大阪駅から東回りで天王寺駅を結ぶ城東線の利用が増加し、その輸送力は限界に達していました。また、都市交通が市電・バスのみであった港区・大正区の人口の増加により、旅客需要が見込めるようになっていました。
これらを解消するため、大阪-天王寺を西回りで結ぶ新線建設の計画、すなわち環状線の建設が具体化してゆきます。昭和28年(1953)には府や市による大阪環状線建設促進協議会が発足し、昭和31年(1956)にようやく、天王寺-西九条を結ぶ環状線工事が着工されました。
環状線工事は、天王寺-西九条間のうち天王寺-今宮間は関西本線を、今宮-境川信号所間は大阪港へ通じる貨物線(大阪臨港線)を利用する改良工事とし、境川信号所-西九条間の2.6kmに高架の新線を建設、西成線に接続するというもので、昭和36年(1961)に完成しました。なお新線区間には大正・弁天町の2駅が新設され、西九条駅では高架部分に新しいホームが建設されました。なお、境川信号所は大正-弁天町間の新線部分と貨物線が分岐する地点で、大阪環状線開業にともない新設された信号所です。

大阪環状線は昭和36年(1961)4月25日に開業、城東線は全区間、西成線は大阪-西九条間が大阪環状線に編入され、西成線の西九条-桜島部分は桜島線となりました。
しかし、大阪-西九条間はまだ地上線で、西九条駅は旧西成線の地上ホームと新しく建設された高架ホームの2つが存在し、環状運転としては不完全な状態でした。このため環状線を走る電車は、高架ホームの西九条駅を出発後、弁天町-天王寺-京橋-大阪を経由して西九条駅地上ホームへ到着、さらに桜島線に入り桜島駅を終着駅としていました。(西九条から弁天町・天王寺方面へは地上駅から高架駅への乗り換えが必要だった)この運転経路を路線図でみると「の」の字を裏側から見たような形になるため、通称"逆「の」の字運転"とよばれていました。
旧西成線区間である大阪-西九条間は電化こそされていましたが、大阪-福島間は単線で、そのうえ福島駅付近から西九条駅までは地上線となっていました。
このため大阪-福島間を複線化するとともに、大阪-西九条間を高架化する工事が昭和34年(1959)から開始されました。同区間では、福島・野田付近で阪神本線・大阪市電が立体交差していたため、阪神・市電の高架部分と西成線の地上部分を切り替える大工事が行われ、昭和39年(1964)3月22日にこれが完成しました。同時にこの日より、大阪環状線の完全「環状運転」が開始されました。
また、天王寺-今宮間は大阪環状線開業後も関西本線との共用で、同じ線路を走っていましたが昭和43年(1968)に分離工事が完成し、ようやく現在の大阪環状線の姿となりました。
大阪環状線
1961年(昭和36年)4月25日:西九条駅-大正駅-天王寺駅間(7.4km)開業。城東線(10.7km)、西成線 大阪駅-西九条駅間(3.7km)、野田駅-大阪市場駅間(1.3km)を合わせ大阪環状線となる。関西本線貨物支線 今宮駅-浪速駅-大阪港駅間 (8.3km)、浪速駅-大阪東港駅間(3.0km)を大阪環状線に編入し、貨物支線の起点を今宮駅から大正駅に変更(-1.8km)。野田駅-西九条駅間改キロ(-0.1km)。弁天町駅・大正駅開業。境川信号場開設。
1964年(昭和39年)3月22日:大阪駅-福島駅間が複線化され、全線複線化完成。西九条駅高架化。環状運転開始。新今宮駅開業。
1965年(昭和40年)3月18日:野田駅-西九条駅間が3線化、野田駅が福島方に0.1km移転。貨物支線 野田駅-大阪市場駅間改キロ(+0.2km)。
1966年(昭和41年)4月1日:芦原橋駅が開業。
1968年(昭和43年)3月25日:天王寺駅-新今宮駅間が複々線化され、関西本線と分離運転開始。
1969年(昭和44年)12月10日:103系電車運転開始。
1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正により、大阪駅-弁天町駅-天王寺駅間に休日運転の快速を新設。
1973年(昭和48年)10月1日:関西本線で快速運転開始。休日のみ(翌年から毎日)大阪環状線へ直通。
1983年(昭和58年)10月1日:大阪城公園駅が開業。
1984年(昭和59年)2月1日:貨物支線 野田駅-大阪市場駅間(1.5km)、浪速駅-大阪港駅間(3.4km)、浪速駅-大阪東港駅間 (3.0km)廃止。大阪市場駅・大阪港駅・大阪東港駅廃止。
環状線について長々と4日間も書いてきましたが、端的に述べれば、環状線は、国鉄が初めから丸く設計したわけでも、大阪市の都市計画として当初からデザインされた路線でもなく、その時に需要に基づき存在した小さい鉄道会社・路線をくっつけた(=ひっつけた)結果、丸くなったと…大阪検定合格のためには、これくらいオボエトコ!
環状線の東部がドーなっていたか?はコチラから、北西部はコチラ、南西部はコチラからドーゾ。
それでは、グルっと回ってサヨウナラ
環状線工事は、天王寺-西九条間のうち天王寺-今宮間は関西本線を、今宮-境川信号所間は大阪港へ通じる貨物線(大阪臨港線)を利用する改良工事とし、境川信号所-西九条間の2.6kmに高架の新線を建設、西成線に接続するというもので、昭和36年(1961)に完成しました。なお新線区間には大正・弁天町の2駅が新設され、西九条駅では高架部分に新しいホームが建設されました。なお、境川信号所は大正-弁天町間の新線部分と貨物線が分岐する地点で、大阪環状線開業にともない新設された信号所です。
しかし、大阪-西九条間はまだ地上線で、西九条駅は旧西成線の地上ホームと新しく建設された高架ホームの2つが存在し、環状運転としては不完全な状態でした。このため環状線を走る電車は、高架ホームの西九条駅を出発後、弁天町-天王寺-京橋-大阪を経由して西九条駅地上ホームへ到着、さらに桜島線に入り桜島駅を終着駅としていました。(西九条から弁天町・天王寺方面へは地上駅から高架駅への乗り換えが必要だった)この運転経路を路線図でみると「の」の字を裏側から見たような形になるため、通称"逆「の」の字運転"とよばれていました。
旧西成線区間である大阪-西九条間は電化こそされていましたが、大阪-福島間は単線で、そのうえ福島駅付近から西九条駅までは地上線となっていました。
このため大阪-福島間を複線化するとともに、大阪-西九条間を高架化する工事が昭和34年(1959)から開始されました。同区間では、福島・野田付近で阪神本線・大阪市電が立体交差していたため、阪神・市電の高架部分と西成線の地上部分を切り替える大工事が行われ、昭和39年(1964)3月22日にこれが完成しました。同時にこの日より、大阪環状線の完全「環状運転」が開始されました。
また、天王寺-今宮間は大阪環状線開業後も関西本線との共用で、同じ線路を走っていましたが昭和43年(1968)に分離工事が完成し、ようやく現在の大阪環状線の姿となりました。
大阪環状線
1961年(昭和36年)4月25日:西九条駅-大正駅-天王寺駅間(7.4km)開業。城東線(10.7km)、西成線 大阪駅-西九条駅間(3.7km)、野田駅-大阪市場駅間(1.3km)を合わせ大阪環状線となる。関西本線貨物支線 今宮駅-浪速駅-大阪港駅間 (8.3km)、浪速駅-大阪東港駅間(3.0km)を大阪環状線に編入し、貨物支線の起点を今宮駅から大正駅に変更(-1.8km)。野田駅-西九条駅間改キロ(-0.1km)。弁天町駅・大正駅開業。境川信号場開設。
1964年(昭和39年)3月22日:大阪駅-福島駅間が複線化され、全線複線化完成。西九条駅高架化。環状運転開始。新今宮駅開業。
1965年(昭和40年)3月18日:野田駅-西九条駅間が3線化、野田駅が福島方に0.1km移転。貨物支線 野田駅-大阪市場駅間改キロ(+0.2km)。
1966年(昭和41年)4月1日:芦原橋駅が開業。
1968年(昭和43年)3月25日:天王寺駅-新今宮駅間が複々線化され、関西本線と分離運転開始。
1969年(昭和44年)12月10日:103系電車運転開始。
1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正により、大阪駅-弁天町駅-天王寺駅間に休日運転の快速を新設。
1973年(昭和48年)10月1日:関西本線で快速運転開始。休日のみ(翌年から毎日)大阪環状線へ直通。
1983年(昭和58年)10月1日:大阪城公園駅が開業。
1984年(昭和59年)2月1日:貨物支線 野田駅-大阪市場駅間(1.5km)、浪速駅-大阪港駅間(3.4km)、浪速駅-大阪東港駅間 (3.0km)廃止。大阪市場駅・大阪港駅・大阪東港駅廃止。
-年表:Wikipediaより
環状線について長々と4日間も書いてきましたが、端的に述べれば、環状線は、国鉄が初めから丸く設計したわけでも、大阪市の都市計画として当初からデザインされた路線でもなく、その時に需要に基づき存在した小さい鉄道会社・路線をくっつけた(=ひっつけた)結果、丸くなったと…大阪検定合格のためには、これくらいオボエトコ!
環状線の東部がドーなっていたか?はコチラから、北西部はコチラ、南西部はコチラからドーゾ。
それでは、グルっと回ってサヨウナラ

Posted by nao道 at 23:25│Comments(0)
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