2012年01月21日
中之島フェスティバルタワー-そびえ中
このビルは今年の10月末竣工予定で、商業施設は11月28日にオープンし、新生フェスティバルホールはビルの竣工後、約5ヶ月かけてホール内の音響調整やスタッフの訓練などを行なった後、2013年4月3日に開業式典を行います。この日は、昭和33年(1958)に完成した旧フェスティバルホール開設の日に合わせたものです。こけら落とし公演は旧ホール開館以来、世界の著名アーティストにより毎年開催されてきた「大阪国際フェスティバル」の再開公演となります。
このビルには朝日新聞大阪本社の一部も入居するようですが、やはり新フェスに期待がかかるのは当然のコトでしょう。
かつてフェスで行われたコンサートには「伝説」と言われた公演が多々あります。
山下達郎は、「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です。」と語り、当会場でのライブが二度と出来なくなるという強い思い入れからか、2008年12月~2009年4月に久々の全国ツアーを決行し、フェスティバルホールでは、2008年12月17・18日、27日・28日と4公演も行っています。
浜田省吾は、「東京では日本武道館、大阪ではフェスティバルホールでコンサートをするのがミュージシャンにとってのステータスだった。」
まさしさだ(さだまさし)もほとんどの大阪での公演でフェスティバルホールを使用していて、「神様が作ったホール」と称賛しています。デビュー35周年記念ツアー中に200回目の公演を迎え、それを「さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200」というタイトルでライブ・アルバムにしています。
まさしの他にもライブ盤のための録音が行われることも多く、ディープ・パープル「ライヴ・イン・ジャパン」、マイルス・デイヴィス「パンゲア」などは世界でロングセラーを続けています。
毎年春に行われていた大阪国際フェスティバルには、世界の一流オーケストラやオペラなどが出演していました。
そして、バレエ公演においては関西のメッカとされ多くの国内外のバレエ団が公演を行っていました。
フェスティバルホールのイベントでよく知られていたのは、真夏8月に甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会の組み合わせ抽選会や年末の有線放送大賞でした。
山下達郎は、「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です。」と語り、当会場でのライブが二度と出来なくなるという強い思い入れからか、2008年12月~2009年4月に久々の全国ツアーを決行し、フェスティバルホールでは、2008年12月17・18日、27日・28日と4公演も行っています。
浜田省吾は、「東京では日本武道館、大阪ではフェスティバルホールでコンサートをするのがミュージシャンにとってのステータスだった。」
まさしさだ(さだまさし)もほとんどの大阪での公演でフェスティバルホールを使用していて、「神様が作ったホール」と称賛しています。デビュー35周年記念ツアー中に200回目の公演を迎え、それを「さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200」というタイトルでライブ・アルバムにしています。
まさしの他にもライブ盤のための録音が行われることも多く、ディープ・パープル「ライヴ・イン・ジャパン」、マイルス・デイヴィス「パンゲア」などは世界でロングセラーを続けています。
毎年春に行われていた大阪国際フェスティバルには、世界の一流オーケストラやオペラなどが出演していました。
そして、バレエ公演においては関西のメッカとされ多くの国内外のバレエ団が公演を行っていました。
フェスティバルホールのイベントでよく知られていたのは、真夏8月に甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会の組み合わせ抽選会や年末の有線放送大賞でした。
再開発もEことなのですが、少なくとも古いものの痕跡やそのイメージを街に刻んで欲しいものです。
上記、フェスティバルホールに関してはWikipediaを引用しています。コチラからドーゾ。
Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)
│大阪市中今昔