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O-TUBE By nao道
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みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
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2011年07月25日

フジハラビル


天神さん(大阪天満宮)のすぐ近所、天神橋筋商店街の南のはずれにこのビルは建っています。
4階建てのビルで、テナントにはギャラリーやデザイン事務所などがあります。
芸術とは何なんでしょうか?その答えがこの大正12年建築のビルにあるのかも、ないのかもしれません。
オーナーの藤原さんがかなり荒廃した状態だったこのビルを一人で十年がかりで補修し、遊び心の感じられるきステキな空間に蘇えらせました。


入口から中に入ってみましょう。


ヨーわからんけど、スゴイのでしょう。
この界隈には、船場ほどではないにしてもE建物があります。それではサヨウナラ。

大阪市北区天神橋1-10-4
竣工:大正12年(1923)
設計:不明
施工:不明
構造:RC造地上4階地下1階建


下の地図のA-Bルートで天神さん(大阪天満宮)まで歩いていく場合、天満橋を渡り切ってスグ西側の南天満公園を大川に沿って行くといろんな石碑やオモロイもんがイロイロあった(無かったかも)と思います。A-Bルートはこれで終了です。
結局、南天満公園の石碑とフジハラビルしか巡れませんでした。急いでやってきたのでお許しください。あーとー。
今日からは大阪天満宮について書いていきますので4946です。プレゼント

「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック!  
タグ :北区


Posted by nao道 at 09:43Comments(0)近代・現代建築
2011年04月29日

大阪倶楽部


大阪倶楽部は、大阪財界人のための社交場として大正3年(1914)に開館しました。住友総理事・鈴木馬左也を中心に、土居通夫をはじめ大阪財界のビッグネーム達が、大大阪にふさわしい格式高い社交クラブ設立を発起しました。大阪倶楽部旧館は住友家を代表して総理事鈴木馬左也が評議員でもあったため、当時の住友本社営繕課建築係が設計を引き受け、野口孫市と長谷部鋭吉(住友ビルディングも手がけた)が担当しました。
しかし、当時木造の旧館は大正11年(1922)に失火のために焼失してしまいました。


現在の大阪倶楽部は大正13年(1924)、東京・日本橋野村ビルや大阪瓦斯ビルを手がけた安井武雄が、片岡建築設計事務所に在籍していた時代の作品です。安井氏は「南欧風ノ様式ニ東洋風ノ手法ヲ加味セルモノ」とこの建物に関する冊子のなかで、デザインをこのように評しています。南欧スタイル(スペイン風)を基調に、細部装飾は中近東・東洋がモチーフとなっていて、様式に捕らわれることを嫌う彼の手法が、建物に不思議な存在感を与えています。
大大阪時代の貴重な建築遺産で国の登録有形文化財にも指定されています。


基本的に会員制を貫いていますが、4階ホールは、結婚式、講演会、コンサートなどの催し物に利用可能です。
2階には、談話室、図書室 、常食堂があります。この食堂はあの「花外楼」直営となっています。
1階は、ロビー(喫茶・酒場)、受付・玄関、囲碁・将棋室、撞球場(ビリヤード場)となっていて地下は、理髪室が設置されています。


ヨーワカランけどスゴイ建築です。
大阪検定3級を受けられる方は、近代建築物などに興味がなくてもコレくらいはオボエトコ。カエル
そして、建築家としては安井武雄、辰野金吾、時代は違うけど安藤忠雄はんくらいはオボエトコ。クローバー
辰野金吾氏については以前書きましたのでコチラからドーゾ。

大阪市中央区今橋4-4-11
設計:安井武雄
施工:大林組
竣工:1924年
構造:RC造、地上4階・地下1階

アクセスは簡単です。地下鉄・京阪「淀屋橋駅」下車から西へ、住友ビルの裏手(南側)にあります。
詳しくは下の地図で4946です。
  
タグ :中央区


Posted by nao道 at 23:02Comments(4)近代・現代建築
2011年04月26日

旧中央消防署今橋出張所


旧大阪市中央消防所今橋出張署は現在、ANTICA OSTERIA Dal POMPIERE(イタリアン・レストラン=アンティカ オステリア ダル ポンピエーレ)さんというイタリアンのお店に異色の変身をとげました。
もともと消防車と消防署員が常駐する消防署出張署が、なんと今ではイタリアン・レストランとして再生しています。
時が廻れば価値観が変わり不思議なニュアンスの変化が必ずあるものです。しかし、このお店の名前は、「アンティカ オステリア=古い食堂」「ダル ポンピエーレ=消防士」とストレートに建物の歴史を活かしたもので、しっかりと過去を受け継いでいて、さらにそれを積極的に保っています。アーチ状の1階上部に消防署ならではの赤いランプがみられます。
消防車が今のお店の位置に入っていたのが想像でき、さらにその上の階に消防署員が待機している様が目に浮かぶようです。


シャレオツやな~。ごはん空に映える黄色に光る看板には「OSTERIA=食堂」と表記されています。ラーメン

大阪市中央区今橋4-5-19
竣工:1925年(大正14年)
設計:不明
構造:RC造、地上3階

アクセスは下の地図でドーゾ。
  
タグ :中央区


Posted by nao道 at 20:44Comments(6)近代・現代建築
2011年04月23日

細野ビルヂング


昭和11年(1936年)、建設会社・細野組の大阪営業部社屋として竣工しました。
細野組は明治時代、大阪築港や御堂筋の工事を請け負い、大大阪時代創出の一翼を担いました。
竣工当初の外壁は白タイルで覆われていたそうです。
細野組は、このビルの竣工当時、石材請負業も行っていたため、長堀川(現・長堀通)から船で揚げられた上質の石材が惜しげもなく使われています。
細野ビルヂング三代目オーナー・細野房雄氏は手造りでビルの修復を始め、築66年目の2003年には「66展」を記念として開催しました。それ以後、この貴重なレトロ建築は、年一回開催される「66展」をはじめ、多数のイベント(個展・コンサートなど)に幅広く利用されています。


事務所でしょうか…細野組事務所?チョットこわい感じ?ではないですよ。パンダ
現在、工事中のようです。
しかし、こんなにシンプルでE感じのビルヂングは少ないです。船場の建築はもっと豪奢なものが多いですから。



大阪市西区新町4-5-7
竣工:1936(昭和11)年
設計:細野組建築部
施工:細野組建築部
構造:RC造地上3階地下1階建

アクセスは簡単です。地下鉄長堀鶴見緑地線・千日前線/西長堀駅下車スグです。


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タグ :西区


Posted by nao道 at 10:02Comments(2)近代・現代建築
2011年03月06日

日本銀行大阪支店


日本銀行本店、東京駅中央公会堂なども設計した辰野金吾らの設計による建物で、ベルギー国立銀行をモデルにしたといわれています。江戸時代、堂島川に面したこの地には島原藩屋敷があり、明治初期には五代友厚別邸、その後駅逓司大阪郵便役所が置かれていました。昭和の時代に入ると老朽化と地盤沈下が進んだため、昭和55~57年にかけて復元・改修工事が行われました。さらに、業務空間拡大のため一時は高層ビルへの全面建替えも計画されたが、3面の外部の壁面と内部の重要な部分を保存し、西側敷地に高層棟を新築しました。
屋根全体が薄緑色になっているのは、青銅板に緑青(ろくしょう)と呼ばれる錆が生成されているからです。
外壁はレンガ壁に花崗岩を積んだもので、そもそも建築当時は白色系の壁面だったのですが、明治以来からの煤煙や戦時中に空襲を回避するために塗られた薄墨などの汚れが付着し、壁面が薄黒くなっています。


同く辰野金吾の設計した日銀京都支店のほうが中央公会堂に似て、いかにも辰野建築って感じがします。中央公会堂のように白い縞が入ってないからかもしれません。
堂々と御堂筋に面して、大阪市役所とガチで向い合っています。国指定重文でもないし登録文化財にもなっていません。しかし、堂々としていますね。


辰野金吾については、小説「プリンセス・トヨトミ」(万城目学/文藝春秋)に詳しい記述がありました。このブログで以前書きましたのでコチラからドーゾ。
日銀大阪支店の敷地内にある駅逓司大阪郵便役所の碑についてはコチラからドーゾ。
以上、いつかは書かなアカンなーと思いながらほったらかしになっていた日銀大阪支店でした。

大阪市北区中之島2-1
竣工:1903(明治36)年
設計:辰野金吾・葛西万司・永野宇平冶
施工:営繕司直営・大林組
構造:煉瓦造・石造/地上2階・地下1階建


アクセスは簡単です。地下鉄御堂筋線京阪淀屋橋駅下車後淀屋橋を渡ってスグ。または京阪中之島線大江橋駅下車スグです。


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タグ :北区


Posted by nao道 at 15:09Comments(0)近代・現代建築
2010年10月29日

大阪市立工芸高校


大阪市立工芸高等学校 本館

市立工芸高等学校は大正12年(1923)4月に開校し、翌13年(1924)に校舎の完成と共に現在地に移転した。
本館はL字の平面形で、方廊下となっており、道路に面した角に玄関を置いている。鉄筋コンクリート3階建ての構造で、小屋組は鉄骨組である。角に置かれた玄関は、アーチ形となっていて、正面観を引き立てている。1・2階の外壁は煉瓦積み、3階部分はゆるやかな曲線をもつマンサード風の急勾配の屋根がかけられている。教室部分は窓や外壁を立ち上げ屋根を区切っているため、屋根の曲線が一層強調され、極めて特徴的な外観となっている。また、屋根上には時計台がそびえ、より外観を印象的なものとしている。このような重厚でロマンあふれる建築様式は、アールヌーボーと総称され、わが国には類例が少ないものである。
このような特徴的な建物のデザインの原型となったのは、ドイツにおいて新しいデザイン教育の中心であったワイマール工芸高校(1907年)であったといわれている。校舎の設計は大阪市営繕課によるものである。

大阪市指定有形文化財 建造物
所有者:大阪市
所在地:阿倍野区文の里1-7-2
指定日:平成12年12月12日


文化財指定日が、12、12、12と並んでいるのは偶然ではないような気が・・・どうでもE!
さらに平成20年、経済産業省により近代化産業遺産に指定されました。
私の職場には、ナゼか工芸高校の卒業生が多いです。あと、憂歌団木村充揮さんの母校もナゼかココです。
デザイン・造形を総合的に学ぶデザイン系5学科と美術科で構成される全国で唯一の高等学校です。
  
タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 07:07Comments(3)近代・現代建築
2010年06月01日

旧大阪教育生命保険ビル


赤いレンガが特徴的なあのビル、今はドーなってますかー?
シェ・ワダ高麗橋本店、今はまだ閉ざされているようです。
でも看板はかかってました。どーなってますかー?
シェ・ワダというフレンチ・レストランが2008年に閉店して以来、ドーなったんやー?
大阪教育生命保険ビルとして1912年に竣工、大中証券時代を経て、シェ・ワダ高麗橋本店として2008年まで営業していました。

設計はスゴイ辰野金吾氏です。この時代のスゴイ建物のほとんどを設計していると言っても過言ではありません。上の行の辰野金吾のアンダーラインを㋗してみて下さい・・・経歴スゴイから。このビル竣工の6年後に大阪市中央公会堂も設計しています。

大阪市中央区高麗橋2-6-4
竣工:1912(明治45)年
設計:辰野片岡建築事務所
施工:営繕司直営
構造:煉瓦造2階建


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タグ :中央区


Posted by nao道 at 14:51Comments(0)近代・現代建築
2010年05月27日

高麗橋野村ビルディング



昔でいう北船場、御堂筋堺筋に挟まれた北浜界隈にはレトロなビルが、大阪には珍しく幾つかあります。その中のひとつが、大阪市営地下鉄堺筋線北浜駅のすぐ近く、堺筋・高麗橋1交差点北西角に立つ高麗橋野村ビルディングです。
野村財閥持株会社である野村合名の地所部が建てたレトロな雰囲気のビル。1階のサンマルクカフェカフェとバー・JAMAIS(ジャメ)が目印です。
1階エントランスの看板は「野村建設工業(株)」となっていました。 野村殖産(株)という会社も入居しています。両方とも野村ホールディングス関連会社なのでしょう。

昭和モダニズム建築代表する建築家安井武雄の設計となっております拍手
安井武雄が設計した大規模モダニズム建築は、他にも大阪瓦斯ビルヂング大阪倶楽部日本橋野村ビルディングとなっております拍手
鉄骨鉄筋コンクリート構造(戦前にはメッタに無いSRC構造)で、戦前は地上5階建て、戦後に6・7階を増築しております拍手
写真では分かりづらいんですが、上から2階は明らかにチョットなんか違うでしょ。どうでしょうか。
大阪瓦斯ビルより古いんですよね。スゴイキョロキョロ

設計 - 安井武雄
竣工 - 1927年
施工 - 大林組
構造 - 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上7階、地下1階


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タグ :堺筋北浜


Posted by nao道 at 08:35Comments(0)近代・現代建築
2010年05月04日

寺西家阿倍野長屋


大阪市阿倍野区阪南町1丁目に寺西家の所有する長屋、寺西家阿倍野長屋が風情ある佇まいを残しています。

残していると言っても、70年前の1933年(昭和7年)に建てられた2階建4軒長屋を2004年に補修しています。

現在は、4軒全てが飲食店になっていて、キッチンバー混COMさん、旬菜旨魯さん、オリジナル・チャイニーズフードAKAさん、懐石花川喜さんが入居しています。

そしてスゴイのが、寺西家長屋は長屋として初の国の登録有形文化財に指定されています。


鯉のぼり・・・・・・


大阪市営地下鉄昭和町駅スグ!

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タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 00:19Comments(0)近代・現代建築
2010年03月22日

泉布観


3月20日~22日の3日間、国の重要文化財泉布観(せんぷかん)が一般公開されました。毎年、春分の日前後に公開されています。桜宮橋(銀橋)西詰、国道1号線(曽根崎通)沿い、造幣局の向かいにある現存する大阪最古の洋風建築です。

泉布観は1871年(明治4年)、造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられました。設計者は英国人技師トーマス・ウォートルス(ThomasJamesWaters)。造幣寮の全施設の設計、東京・銀座の銀座煉瓦街を設計したことでも知られ、明治初期の日本を代表する建築技師でした。

完成
の翌年、明治天皇行幸し、泉布観の名称はその際に天皇自身により命名されました。「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」の意味です。構造は煉瓦造2階建、建物のまわりにヴェランダを巡らせたヴェランダ・コロニアルと呼ばれる形式になっています。また、耐火煉瓦を除く構造用の煉瓦はすべて国産品で、兵庫や堺など大阪周辺のほか広島でも製造されています。

明治26~28年にかけて旧陸軍第四師団長・北白川宮能久親王が住居の一部として使用したため、この前後に改造されました。

大正
6年に大阪市移管され、実科女学校の一部として使用されました。昭和31年、洋風建築としては全国に先駆けて国の重要文化財に指定されました。

このシャンデリアはナカナカ普通ムリ・・・シュミ悪!

昭和37~39年には保存のために補修工事が施され、現在に至る。

たぶん、明治期には、ここから大阪城が見えたんやろな~。

造幣局の門です。
桜が開花すると、ここ大川(旧淀川)の辺りは一気に人が増えます。大阪NO.1のお花見の名所です。
銀橋と大川については、あえてもう少し後・・・桜がキレイな頃に記事にしてみたいと思っています。4946!

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Posted by nao道 at 12:54Comments(1)近代・現代建築