2012年04月01日
つるのはし跡
つるのはし跡
「つるのはし」は、日本最古の橋として名高い「猪甘津(いかいつ)の橋」の古跡とされています。
日本書紀の仁徳天皇14年の条に「冬11月、猪甘の津に橋わたす。すなわちその処を号(なづ)けて小橋(おばし)という」と記されていて、これが我国での架橋の記録として最も古いものです。
仁徳天皇の頃(5世紀、河内湖の時代)には、ここより少し北の辺りは”小橋の江”と呼ばれた入江であって、そこに百済川(のちの平野川)が注いでいたと考えられます。
その河口付近は、人や物資を運ぶ船の盛んに出入りする港として栄え、”猪甘の津”と呼ばれていました。
その港には当然、上町台地にある高津の宮から官道が通じていたわけです。
そして、そこからさらに河内・大和方面への交通路をひらくために橋がかけられたというのが、この記録の意味するところです。
小橋(おばし)は東成区東小橋(ひがしおばせ)。猪甘の津はここ猪飼野(現在の桃谷3丁目を含む一帯)がその伝承地です。
「つるのはし」の名の由来については、江戸時代の地誌『摂陽群談』に「むかし、この辺りに鶴が多く群れ集まったためという」と記されています。また一説には”津(つう)の橋”から訛ったものとも言われています。
江戸時代の『猪飼野村明細帳』などの古記録(御幸森天神宮所蔵)に”この橋は河内大和への街道筋ゆえ、往古より御公儀様(お役所)の費用で架け替えて頂いています”とか、”過去いついつに掛け替えられた”とか、橋の規模・構造などが詳細に記されており、それによると橋の全長二十間(36.4m)、幅七尺五寸(2.3m)の板橋となっています。
近代に入ってからは、明治7年旧平野川深く掘り返した際に石橋に掛け替えられ、同32年国庫補助により欄干付・長さ七間(12.7m)、幅一間(1.8m)の石橋に改修されました。
その後。大正12年(1923)に鶴橋耕地整理組合の手によって新平野川が開削され、不要となった旧川筋は昭和15年(1940)に埋立てられて、つるのはしは廃橋となりました。
この由緒ある橋の名を後の世に伝えるため、昭和27年(1952)ここに記念碑を建て、当時の親柱4本を保存しました。なお、このつるのはし跡公園は旧平野川の流路の上に位置しており、公園入口前の道路上につるのはしがありました。
平成九年四月 大阪市建設局
資料提供 猪飼野保存会
資料提供 猪飼野保存会
「勘忍してー…もう充分やわ!」というほどスゴイです。

小さな「つるのはし」ミュージアムと化した公園は生野区桃谷3丁目にあります。
環状線「桃谷駅」を降りて、いかにも大阪らしいE雰囲気の桃谷商店街をそのなだらかな坂道にどおりに下って行くのが近道です。

環状線「桃谷駅」を降りて、いかにも大阪らしいE雰囲気の桃谷商店街をそのなだらかな坂道にどおりに下って行くのが近道です。

Posted by nao道 at 10:10│Comments(0)
│八百八橋